団長:そうなんだ。実際、当時の中国側の世論も和平を求める声より全面抗戦を訴える声の方が大きかったんだよ。
ともみ:学校の先生が言っていた話とはずいぶん違うわね。で、そのあと、どうなったの?
団長:そうした一触即発の状況で発生したのが第二次上海事変だ。8月13日、蒋介石の国民党軍が上海の日本人租界に向けて突如、攻撃をしかけてきたんだよ。
ともみ:え、なんの通告もなしにいきなり?
団長:そうだ。もっとも中国側にしてみれば上海での攻撃は、華北における「日本の侵略」に対する反撃という理屈だから通告がなくても問題ないという認識だったらしいがな‥。
ともみ:つまり盧溝橋事件が発生した時点ですでに日中戦争は始まっていたんだと‥?
団長:そういうことだ。
ともみ:それじゃあ、盧溝橋事件直後に結ばれた現地停戦協定はなんだったのよ? その後も粘り強く和平交渉を続けてきた日本側の努力は一体なんだったのよ? 最初から戦争する気満々だったのは中国側じゃないのっ! だから和平交渉なんかはなから応ずるつもりがなかったんじゃないのっ!
団長:まあそう怒るな(笑) ともあれ、今回、中国軍が攻撃目標としていたのは日本人が多く住む上海の国際租界だ。そうである以上、日本政府としても今までのような腰が引けた態度でいるわけにはいかない。仮に何もせず手をこまねいていたら通州事件や尼港事件(※)の二の舞になるおそれだってあるからな。
ともみ:そうよっ!
尼港事件:1920年にロシアのニコラエフスク(尼港)で赤軍パルチザンによって日本人を含む住民の多くが惨殺された事件
団長:そんなわけで、一連の動きから蒋介石が強固な開戦意志を持っていると判断した日本政府はそれまでの不拡大方針を撤回。日本人居留民の安全確保と「南京政府の反省と懲罰」を目的として日本軍の上海派遣を決定したんだ。
ともみ:当然よねっ!
団長:だけど、こうなれば当然、中国側も黙っていない。激高する世論を受けた蒋介石は徹底抗戦を表明。同時に共産党軍を国民党軍に組み込み、ともに一致抗日をはかることを正式に決定したんだ。上海事変が発生してから約10日後の8月22日のことだ。
ともみ:え、一致抗日ってつまり国共合作のことだよね? それって西安事件の時にすでに成立してたんじゃないの?
団長:いや、正式に第二次国共合作が成立したのは上海事変の後だ。それ以前、蒋介石はなんだかんだ理屈をつけて逃げ回っていたんだ。それがここまで事態が急迫した以上、もはや逃げられないと腹をくくったってわけさ。
ともみ:学校では西安事件で国共合作が成立して両党はただちに仲直りをした、その後、日本が侵略戦争を仕掛けてきた、これを受けて国民党軍と共産党軍が協力して撃退した、って習ったんだけど‥。